ちんすこうの歴史から学んだ、昔の原材料と配合

 7月にすこしブログをお休みしていましたが、その間に沖縄県立図書館に行ってきました。

 ちんすこうの事を調べていると、安次富順子先生のお名前が出てきます。安次富先生が琉球菓子の古い文献をお読みになりまとめられ、161種もの琉球菓子を再び世の中に蘇らせたと言っても過言では無いかと思います。

 それの、書物を読みに沖縄県立図書館へ行ってきました。今日はその中から、ちんすこうのレシピを紹介したいと思います。


安次富順子著

 このちんすこうのレシピは、「與那城御殿御菓子并万例帳」という1879年(明治12年)に発行された書物がもとになっています。その他にも、嘉徳堂規模帳というものにも記載があると安次富先生によって調べられています。

 「與那城御殿御菓子并万例帳」の原本の写真も見つけれましたので、照らし合わせながら確認できました。ちなみに、原本の写真には、「きんそかう」と記載されております。

 それでは、レシピです。100粒分の量が記載されています。

白砂糖
1斤4合7勺5才(867g)
小麦粉
1升9合6勺4才(1178.4g)
豚脂
2斤(1200g)
5合
大正延紫
5分
山梔子
10匁
1合2勺
11斤1合

 となっています。

 菜、大正延紫、山梔子は着色料。薪、炭は燃料となります。

 また、現在の量産型ちんすこう(第2世代)の祖である新垣淑扶先生(明治31年生)の話によると昔は蒸した小麦粉に砂糖とラードをこねてそのまま食べていたということですが、「與那城御殿御菓子并万例帳」では、炭の使用が多いため焼き菓子に区分されています。

 このあたりが、ちんすこうの歴史を少し見えにくくしていますが、どう調査するのは今後の課題ですね。

 さて、レシピを再度みますと、小麦粉1178.4g、ラード1200g、白砂糖867gとなっていて、合計3245.4g。配合としてはラードが一番多くなっています。

 白砂糖は原本の写真にもはっきりと「白砂糖」と明記されています。 黒砂糖説というのも見たことありましたがこの文献ではその説は立証できないようです。脂はラードのみ。酸化が心配ですね。

 一粒の大きさは32.4g。今のちんすこうが大体7g前後、うちのバラ型ちんすこうが15g前後ですから、相当に大きかった思われます。この大きさから想像すると当時から菊型(か、何かしらの形)だったと思われます。

 白い小麦粉とほぼ同じ量のラードをこねると小麦がラードを吸い込みきれずに相当柔らかい生地になります。となると、沖縄の石臼文化や脱穀に木臼が用いられていたことも含め考えると、小麦粉は全粒粉に近かったのかもしれません。全粒粉がかなりラードを吸い込むのは、うちの研究でわかっていて、伊江島全粒粉100%の「あとしお味」はラードの配合比率が高くなっています。(ちょっぴりカロリーが高い)

 時間ができたら、この配合でちんすこうをつくってみようと思います。また、この当時はレンガ窯で焼いていたということですので、300℃ぐらいで焼いてみたら、当時の雰囲気も出るかなぁと思います。焼き時間は全くみえてません(笑)

 できたら皆さんにもご報告いたしますね。ではでは。


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